2011年05月01日
国際文化学科2年、渡部清花


戦時中、朝鮮半島の巨文島って場所に、
日本人が移住して、日本村をつくっていました。
敗戦と同時に日本に引きあげてきました。
「日本人移住民を奨励し、韓国沿岸に日本村を作ろう。
韓国民を日本に同化しよう」
ってのが、当時の日本政府の意向でした

















日本が大戦中、朝鮮半島を侵略した、という事実は今までも習ってきました。
何年に、何があった。
しかし、私にとってそれは、日本史の受験勉強での暗記すべき項目のひとつに埋もれてしまっていました。
戦争中に日本人が移民し、日本村を作っていた韓国の島で、
47年ぶりの再会に涙を流す人
、顔をくしゃくしゃにして笑う人、
悔しさで押し黙る人たちを見て、
一番印象に残ったのは、
これは「歴史」=遠く離れた過去の出来事、ではないということです。
韓国で生まれ育った日本人の視点に立てば、朝鮮半島のあの島は故郷です。
終戦と同時に故郷を離れ、日本へ来ざるを得なかった彼らと、
侵略されていた側の島民の再会。
両者の複雑な表情が印象的でした。
過去の事実は何年たっても消えません。
戦争が終わっても、賠償金を払っても、友好条約を結んでも、消えません。
ビデオの中でも、日本人が心から歓迎されているようには見えませんでした。
「日本と聞いてなにを思い浮かべる?」
日本側の取材のこの質問に対して、
「我が国を36年間支配したということです。」
「憎いです」
「なぜ侵略したのですか」
こう口々に答える小学生くらいの子どもたちの姿が印象的でした。
韓国の歴史教育が正しい・正しくないは別として、
過去の出来事を子どもたちに伝えている。
日本はどうだろうか、ということを考えました。
祖父が特攻隊だった私は、昔から戦争に対して興味がありました。
祖母も、戦争で兄弟を失っているし、
もう一人の祖父は戦争孤児です。
大学1年の夏、青春18きっぷとフェリーを使い、
沖縄・広島・長崎へと戦争の跡地をめぐる旅をしました。
原爆ドーム・平和祈念館・ひめゆりの塔etc ・・・
もちろん教科書や資料集、
祖父母からの話だけでは分からなかった多くのことを知る機会になりました。
実際にひめゆり部隊で生き残ったおばあさんの話を聞くこともできました。
涙ながらに私と同年代の頃の苦しい辛い経験を話してくださいました。
もう私たちなんてこの先長くないんだから、あなたたちが今度は伝えていってね、
そうおっしゃっていたのを覚えています。
日本がこれだけの被害を被った、
日本人がこれだけ亡くなった、
このようにして空襲は行われた、
子どもたちがこうして犠牲になった、
特攻隊の生活はこんなにひどいものだった、
この地で死んだ人が大勢いる・・・
そのようなことはたくさんたくさん聞きました。見ました。
しかし、日本が何をされたのか。日本人がどう犠牲になったのか。
そればかりであった気がするのです。
当たり前かもしれません。
国がお金を出して作った記念館ですから。
たしかに事実として、子どもたちを含めて大勢の日本人が犠牲になりました。
しかし、日本が対外的にどのようなことをしてきたのか。
それはほとんど分かりませんでした。
分からなかったという事実にも、後から気がつきました。
それほど、日本が被害国だという印象だけを持ってしまっていたのです。
たしかに第二次世界大戦に日本は負けました。
東京大空襲があり、
沖縄で地上戦が繰り広げられ、
広島・長崎に原爆が落とされ、
日本は降伏しました。
では日本は他の国になにをしてきたのか、敗戦という事実の裏で、なにがあったのか、
それは、ほとんど知りません。
第二次世界大戦は「日本VSアメリカ」だったと思っている人が多いのが事実です。
戦争のことを少し詳しく知っている、関心がある、そういった人でも、
敗戦までの日本国の惨状を知っているだけ、という人が多いのではないでしょうか。
特に、私と同じくらいの年齢の人たちは。
もちろん私もその一人です。
日本のこと、そして今回韓国のことを知って、
歴史教育、特に戦争の歴史は、
「されたこと」を中心にしてしまいがちなんだということを学びました。
とても難しい問題です。
過去の歴史を知ったところで、今は変わらないかもしれない。
しかし、知る必要があると思うのです。
最近、2つの出来事が、私に再び強くそう思わせてくれました。
一つ目、インドネシアの日系3世の友人が、
ひいおじいさんの話を教えてくれたこと。
日本軍は、戦争中、インドネシアにも進出し占領していました。
たしかに、日本史の教科書の大東亜共栄圏の中に、
インドネシアのあたりも含まれていたような・・
しかし、私はその事実は知らなかった。
習ったけれど、印象に残っていなかっただけかもしれません。
彼らの国を我が国が占領していたかもしれない、苦しんだ歴史があるのかもしれない。
被害を受けた側は知っている・教えられている事実、
どちらがいい・悪いではなく、その事実さえも知らない自分に恥ずかしさを覚えました。
なぜなら私たちは友達だから。
知った上での友達でいたい。
自分には関係ない、ではないのです。
そこで初めて対等に話せる、私はそう思いました。
二つ目、今回の震災をうけ、世界中の国や地域が日本を支援・応援してくれていること。
中には、名前も知らない地域や、自国の経済がギリギリの国まで、日本に支援をしてくれました。
それは、日本がODAなどで多額の国際支援をしてきたこともあるでしょう。
しかし、それだから当然ということではなく、感謝の気持ちでいっぱいでした。
日本が支えてもらっていることは、復興した後も、私たち一人一人が、
ずっと忘れてはいけないことだと思います。
今、日本には特にアジアから多くの留学生・研修生・労働者がやってきています。
過去に日本と戦った、または日本が植民地にした国が多くあります。
日本語教師が接する学習者も、アジア出身の方々が多くいます。
浜松にも、ブラジル・ペルー・インドネシアなど様々な国にルーツがある人々が暮らしています。
今年から、フィリピンの子どもたちへの学習支援ボランティアを始めるきっかけをいただきました。
日本語教師養成課程を学ぶにあたって、
「日本語」「日本」というものをもう一度考えたい。
どうして、自分が今この勉強をしているのかを改めて考えようと思います。
結果的に現在、ご高齢の韓国人には、日本語を流暢に話される方もいらっしゃいます。
その点では、戦争中の日本語教育は成功したのでしょう。
しかし、今は、植民地支配のときのように日本語を教えるのではないのだから、
日本の文化、日本人の考え方、
そういったものを念頭に伝えていく必要があるのではないかと思いました。
日本語を好きになってもらいたい、それ以前に、日本を好きになってもらいたいです。
自分が、過去の出来事も学び、今の現状も考え、本当の意味で「日本」を好きになって、
接する外国人、日本語学習者の方々に伝えていくことができたら嬉しいです。
















日本語教師になりたい!
外国の人に日本語を教えたい!!!!!
とは思っていなかったし、今も思ってない。
でも、こんなことを考えるきっかけになったらいいなあと思って、
いま、日本語教員養成課程の授業をいろいろ履修してる

たしかに、とらなきゃいけない授業は多いし大変なんだけど、
楽しいんだよね^^

机の上での勉強も、学問としておもしろいんだけどね、
ブラジル人のBirthday partyとか招待されたとき(夜のBarだったりするんだけど)なんかに、
すばらしい実践の場もあるわけです^^
デンマーク人に「問題なーい」と「関係なーい」の違いを教えて、
って言われた時の自分の例文にはふいた笑

日本語勉強してるインドネシア人の女の子と、
街中散策する、とかとか

彼ら、彼女らの視点に立って初めて分かる、
日本っておもしろいなー
日本語って不思議だなー
にたくさん出会えて感謝


いっぽん、
にほん、
さんぼん・・・・
なんなのこの「本」の活用は!?!?!?!
ぽん、ほん、ぼんってなんかルールとかないわけ!?
いいかげんにしてほしい。
って言われたよ

たしかに、これを丸暗記するって最悪に大変だ・・
この子は、「2本」が、「ニッポン」になってるもん

日本語ネイティブでよかったわー

Posted by サヤカ at
17:18
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