2012年10月22日
ともしびプロジェクト
海外からのスカイプ。
ひさしぶりー!からの
たわいのない話から、いま復興や原発はどうなんだ?
という話になった。
ちょうど、父母が今週末、
福島のつながりのある団体のことろへ、
支援に行ってたそう。
まだ放射能の線量が高く、外で遊べない子どもたちが多くいる。
そう、いまもまだ。
東北から遠く離れた土地で暮らしていると、
あの事故は収束したような錯覚に陥るときがある。
毎月11日、 Pray for Japan ともしびプロジェクト(http://mjk.ac/YSNTdZ)という
東日本大震災に対し、
ロウソクを灯し祈りを捧げる企画が全国各地で催されています。
私の暮らす静岡県浜松市でも今月、仲間が集まって第1回をやりました。

そのときのこと、ふと思い出した。
「まだ全然、終わってないよ」って伝えるのが精いっぱいだった。
「もうすぐ2年でしょ?」「原発はやめたの?」
と聞かれてもきちんと答えられない。
つい先日も、
16万余の署名をもって示された
「浜岡原発の再稼働に意思表示をしたい」という静岡県民18万人の想いに、
議会は「NO」を突き付けました。(http://ameblo.jp/rain37/entry-11377160405.html)
日本人はどこに向かっていくのでしょう?

私たちは、自分の子ども、孫やひ孫に対して、
責任のある選択・判断をしているのでしょうか。
2012年03月24日
映画『大津波のあとに』『槌音』そして私の1年前。
ひとり映画。
ちょっと最近マイブームになりつつある*
今日は
『大津波のあとに』 by 森元修一
2011年3月11日に発生した東日本大震災。その2週間後の仙台、東松島、石巻を撮影した記録。
児童108人中74人が津波にのまれてしまった石巻市大川小学校を中心に描いた。
『槌音』 by 大久保愉伊
故郷の岩手県大槌町が被災、家族も被害に見舞われた監督が、津波に流されることを免れた震災
前の貴重な映像を編み込んで綴った詩。

公式サイト⇒http://fartheron.soragoto.net/index.html
この映画は本当に、言葉にできないほど衝撃的で。
なぜかというと、この映画の舞台となっている場所に、
震災の2週間後まさに同じ日、私はいたから。
3月25、26、27、28・・・と時間軸でドキュメンタリーが進んでいく。
1年前がフラッシュバックした。
(すべての写真は私自身が昨年、石巻・女川で撮影したものです)
建物が一掃され、焼け野原のような街並み。

小学校の廊下についた海面が残した横線。

先に歩くこともできないようながれきの山。

遺体を運ぶ自衛隊。

まだ水が引かず残る魚の死骸。

吹っ飛んだ墓石。

押し流され道路を阻む船。

家族を捜す無数の張り紙。

3月11日で止まった黒板の予定表。

電気がなく真っ暗すぎる夜。

がれきの積まれた避難所の外で遊ぶ子どもたち。

泥にまみれたランドセル。

生徒が全員そろわない卒業式・・・・・・・

一歩一歩、映画の中を自分が歩いているような感覚がして、
あの無力感が戻ってきて、
あのときの臭いまでしてきた。
映画はあんなにもリアルだけれど、
ひとつ、どうしても伝えられないのは臭い。
海水をかぶった街は、家は、ゴミは、本当に異臭を発していた。
私たちはマスクをつけないと、がれき撤去ができなかった。
その臭いが伝わってくるような、リアルさでした。
この映画は、
ひとりでも多くの人に観て感じてもらいたいって思ったので、
シェアします。
私たちが忘れてはいけないことがあります。

東北の方々の力強さには、
自分なりにできる形でエールを送りたいと思います。
一日も早い、被災地の復興をお祈りします。
ちょっと最近マイブームになりつつある*
今日は
『大津波のあとに』 by 森元修一
2011年3月11日に発生した東日本大震災。その2週間後の仙台、東松島、石巻を撮影した記録。
児童108人中74人が津波にのまれてしまった石巻市大川小学校を中心に描いた。
『槌音』 by 大久保愉伊
故郷の岩手県大槌町が被災、家族も被害に見舞われた監督が、津波に流されることを免れた震災
前の貴重な映像を編み込んで綴った詩。

公式サイト⇒http://fartheron.soragoto.net/index.html
この映画は本当に、言葉にできないほど衝撃的で。
なぜかというと、この映画の舞台となっている場所に、
震災の2週間後まさに同じ日、私はいたから。
3月25、26、27、28・・・と時間軸でドキュメンタリーが進んでいく。
1年前がフラッシュバックした。
(すべての写真は私自身が昨年、石巻・女川で撮影したものです)
建物が一掃され、焼け野原のような街並み。

小学校の廊下についた海面が残した横線。

先に歩くこともできないようながれきの山。

遺体を運ぶ自衛隊。

まだ水が引かず残る魚の死骸。

吹っ飛んだ墓石。

押し流され道路を阻む船。

家族を捜す無数の張り紙。

3月11日で止まった黒板の予定表。

電気がなく真っ暗すぎる夜。

がれきの積まれた避難所の外で遊ぶ子どもたち。

泥にまみれたランドセル。

生徒が全員そろわない卒業式・・・・・・・

一歩一歩、映画の中を自分が歩いているような感覚がして、
あの無力感が戻ってきて、
あのときの臭いまでしてきた。
映画はあんなにもリアルだけれど、
ひとつ、どうしても伝えられないのは臭い。
海水をかぶった街は、家は、ゴミは、本当に異臭を発していた。
私たちはマスクをつけないと、がれき撤去ができなかった。
その臭いが伝わってくるような、リアルさでした。
この映画は、
ひとりでも多くの人に観て感じてもらいたいって思ったので、
シェアします。
私たちが忘れてはいけないことがあります。

東北の方々の力強さには、
自分なりにできる形でエールを送りたいと思います。
一日も早い、被災地の復興をお祈りします。
2012年03月24日
福島県南相馬市へ。
3月24日夕方に出発し、27日まで、福島県南相馬市に行ってきます。
思えばちょうど去年のいまごろ、宮城県石巻市に行っていたことを思い出しました。
⇒http://sayaka.eshizuoka.jp/e709019.html
福島県南相馬市で屋内ではあるけれど、
冒険遊び場的な要素を入れたプロジェクトが動き出すそうです。
第一弾として、3月25日から4月8日まで、
南相馬市鹿島区の万葉ふれあいセンターで「みんな共和国」というイベントが開催されます。
イベントのお手伝いとともに、南相馬市内の被災および復興状況の視察が今回の主な目的です。
子どもたちの心のケア、元気回復を目的に遊びプロジェクトが動き出す。
「みんな共和国」

ホームページ。
http://minnakyowakoku.jimdo.com/
南相馬に行くことが決まる前、気仙沼に行く予定でした。
でも、いろいろなご縁や都合からここへ訪れることになりました。
私は福島なら余計に参加したいって思った。
いろいろな都道府県で放射線の問題がないレベルのがれき受け入れさえ拒否してるけれど、
そこに住んでる人だっているのに、、、って思ってた。
もちろん、拒否する市民の言い分も分かる。
だけれど、去年の3月、石巻で山のように積み重なったがれきや廃材を見て思った。
これが片付かないと、復興も復旧もスタートしない。
世界青年の船で、福島出身の仲間が訴えてきたことも聞いてきた。
いまの福島に行って、
このプロジェクトの動きだしに関わろうとしてる熱い志を持った人たちに出会えるなら、
なおさら行きたいと思った。
世界青年の船で外国参加青年と原発の問題について何度も話したけど、
やっぱりいまの私には自分の明確な意見がないことに気がついたんだもん。
現状を話すことはできても。
深く正確に知ろうとしてなかったし、
知らなくても私の毎日はどうにかなってしまってたから。
自分の足で訪れた場所ではなかったから。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
2月19日 南相馬ダイアログ フェスティバル
お父さん会議で 出た言葉
「こどもを おもいっきり遊ばせたい」
「こどもの遊び場つくりたい」
市の若い職員
「万葉ふれあいセンターはどうだろう」
そんな一言からはじまった 春休みの遊び場づくり
そうだ、いま できること やってみよう
やったことはないけれど 自分達の力、信じて
こどもたちのためにまずは 動いてみようよって
だから、こども
おもいっきり遊ばせたい人
おもいっきり遊びたい人
あつまろう
みんなでつくる 春休み みんな共和国
◎一緒に創り遊ぶ人&応援団 募集中◎
(準備期間中&開催期間中含む)
きっとあなたにできることがある
遊ぶ、見守る、聴く、作る、踊る、歌う、笑う、叱る
集める、教える、語る、くつろぐ、抱きしめる
美容、保育、看護、化粧、写真、芸術、企画
知恵、人脈、資材、資金、愛情、人情、情熱など
なんでもOK!
支援というより 一緒に創る&遊ぶ感覚で 年齢、経験不問
連絡、飛び入り、大歓迎で待ってます。
(みんな共和国HPから引用。)
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
これを機会にちゃんと調べたいし考えれたらいいなと思う。
福島で素敵な出逢いがありますように。
自分で訪れることで、もっと身近になるんじゃないかなって。
他人事じゃないもん。
私たちの日本だもん。
行ってきます。
思えばちょうど去年のいまごろ、宮城県石巻市に行っていたことを思い出しました。
⇒http://sayaka.eshizuoka.jp/e709019.html
福島県南相馬市で屋内ではあるけれど、
冒険遊び場的な要素を入れたプロジェクトが動き出すそうです。
第一弾として、3月25日から4月8日まで、
南相馬市鹿島区の万葉ふれあいセンターで「みんな共和国」というイベントが開催されます。
イベントのお手伝いとともに、南相馬市内の被災および復興状況の視察が今回の主な目的です。
子どもたちの心のケア、元気回復を目的に遊びプロジェクトが動き出す。
「みんな共和国」

ホームページ。
http://minnakyowakoku.jimdo.com/
南相馬に行くことが決まる前、気仙沼に行く予定でした。
でも、いろいろなご縁や都合からここへ訪れることになりました。
私は福島なら余計に参加したいって思った。
いろいろな都道府県で放射線の問題がないレベルのがれき受け入れさえ拒否してるけれど、
そこに住んでる人だっているのに、、、って思ってた。
もちろん、拒否する市民の言い分も分かる。
だけれど、去年の3月、石巻で山のように積み重なったがれきや廃材を見て思った。
これが片付かないと、復興も復旧もスタートしない。
世界青年の船で、福島出身の仲間が訴えてきたことも聞いてきた。
いまの福島に行って、
このプロジェクトの動きだしに関わろうとしてる熱い志を持った人たちに出会えるなら、
なおさら行きたいと思った。
世界青年の船で外国参加青年と原発の問題について何度も話したけど、
やっぱりいまの私には自分の明確な意見がないことに気がついたんだもん。
現状を話すことはできても。
深く正確に知ろうとしてなかったし、
知らなくても私の毎日はどうにかなってしまってたから。
自分の足で訪れた場所ではなかったから。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
2月19日 南相馬ダイアログ フェスティバル
お父さん会議で 出た言葉
「こどもを おもいっきり遊ばせたい」
「こどもの遊び場つくりたい」
市の若い職員
「万葉ふれあいセンターはどうだろう」
そんな一言からはじまった 春休みの遊び場づくり
そうだ、いま できること やってみよう
やったことはないけれど 自分達の力、信じて
こどもたちのためにまずは 動いてみようよって
だから、こども
おもいっきり遊ばせたい人
おもいっきり遊びたい人
あつまろう
みんなでつくる 春休み みんな共和国
◎一緒に創り遊ぶ人&応援団 募集中◎
(準備期間中&開催期間中含む)
きっとあなたにできることがある
遊ぶ、見守る、聴く、作る、踊る、歌う、笑う、叱る
集める、教える、語る、くつろぐ、抱きしめる
美容、保育、看護、化粧、写真、芸術、企画
知恵、人脈、資材、資金、愛情、人情、情熱など
なんでもOK!
支援というより 一緒に創る&遊ぶ感覚で 年齢、経験不問
連絡、飛び入り、大歓迎で待ってます。
(みんな共和国HPから引用。)
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
これを機会にちゃんと調べたいし考えれたらいいなと思う。
福島で素敵な出逢いがありますように。
自分で訪れることで、もっと身近になるんじゃないかなって。
他人事じゃないもん。
私たちの日本だもん。
行ってきます。
2011年04月11日
宮城、震災ボランティア。3月27日‐31日
11日、地震のニュースをガンジス川のほとりで見て、
震災後もずっと日本にいなくって、
外国人と同じように客観的にしか受け止められてなかったこと、
それで帰国してみたら、
仲間はすでに街頭募金やいろんな活動で動いていてどこかに取り残された感があったこと、
いろいろぐるぐるしてたサヤカでした
そんなとき、
SUAC for Japan っていう、
うち大学の有志で結成された団体が、
長年、途上国で活動してきた大学教授とともに被災地入りをするという 学生を募っていて、
なにも考えず手を挙げてました。
・・・そういう性格らしいです
じっとしてらんなかったんだー。

でもね、
プロじゃない人間が現地に行くことに対して、
ホントに役にたつのかとか、
逆に迷惑じゃないのかとか、
賛否両論もありまして、何度かわけがわからなくなってたけど、
うん。最後は頭で考えるのがめんどくさくなって行くことに決めました。
物資を積んでって、
昼間はボランティア、
夜はテントを張って寝泊まりです。
テントの中でも息が白い・・・さすが、冬の東北
(その3日前まで真夏のインドで生きていたあたしには辛い寒さであった)
自分たちの食べ物や水、ガソリンも全部積んで行きました。
なにを書けばいいだか分からないが、現地の報告をします
宮城県石巻市に行きました。
石巻専修大学構内に、ボランティアセンターがあって、
そこに登録すると、
ボランティアは地図を渡され、現場までチャリで行きます。

(ちゃんと迷子になりました
)
崩壊してる家々の中から、
畳を運びだしたり、
お年寄りが1人でできない片付けを手伝ったり。
2mくらい水が浸かった家は、足を踏み入れるだけで床が抜けちゃいます

長靴もジャンバーも泥だらけでした。
畳は限界まで水を吸って膨張して、男の人4人がかりでやっと運べる-って感じです。

道端は廃材やごみだらけ。
電柱は倒れてるし、まだ船が家の屋根の上にのっかったままの場所もありました。

家ごとなくなっちゃうような一番壊滅的な地域ももちろん悲惨。
でもうちらが手伝ったような、家の原型はとどめてはいるものの、
思い出のモノが全部なくなってゴミになってしまったような場所が一番多いんだろうな
って思いました(・ω・)
小学校での炊き出しもしてきました 。
NPOの活動をお手伝いするかたちで。

『手渡すときに、必ず一声かけるだよ、ねーちゃん!』
このおじさんたちの笑顔はホントに素敵だった。
九州から来てるおっさんとか、
青年海外協力隊のOB・OGとか、
カナダのメディカルチームの方々、
被災者の人からも、
子供たちからも元気もらいました-(●^□^●)

『あたしもてつだうー!』って、一緒に泥のかき出しをした小学校1年生の女の子。
『おねえちゃんはしずおかからきたんだねー』
・・・子どもは、未来だって思った。
うちら若者が一番動けるんだから、お互い様で動きたい。
行けば、必ずやれることはあります。
今すぐじゃなくても、
ゴールデンウィークでも、夏休みでも。
もっとボランティアの受け入れ態勢は整ってくる。
ニーズにあったお手伝いができるようになるはず。
専門職なんてもってなくても、絶対できることはある。
元気なあなたがいれば。

宮城県から戻って2回、スライド使ったミニ報告会をやりました
時間が経つにつれて、
距離が遠くなるにつれて、
薄くなってっちゃう衝撃を少しでも近くに感じてほしかったから。

31日(帰ってきた日ー実は眠いー)は実家の富士市で地域の方々20人くらいに
ほとんどの人が、質問とか意見とかくれた。
1日(その次の日ーさらに眠いー笑)はいろんな大学の仲間10人くらいに(・∀・)
飲みながら食べながらだったけど、
みんな今回の震災について、いろんな意見を出しあってた。
思ったこと、
やるべきこと、
感じたこと・・・
そのきっかけにちょっとでもなれたなら意味があったと思います
まちづくりについて、原発について、メディアについて、環境について、医療について・・・
みんな専門分野をもってるから、大学生仲間は深かったし興味深かったです(^^)
そんなことを話せる仲間は大事だ。
そんな機会も大事だ。

昨日も、別のミーティングのために集まった大学の友達と、
ラウンジでしゃべり場が始まっちゃって、
5人で2時間半くらい、
今回の震災について話した 。
周りがわいわいお弁当食べてる中、
熱かったねーあのメンツ
本来の目的は果たせなかったが、←笑
なんだか少しもやもやがすっきりした。
非被災者の視点、
報道する側の視点、
防災局で働いてるお父さんが話してくれたってこと、
政治の話、
経済の話、
“不謹慎”について・・・
日常生活に震災の影響はなにもない浜松で、わたしたちは真剣に考えてた。
もちろん、今回のことについて考えることはだいじ。
でもいくら頭で考えても現状は変わらないから、
これからの日本を作ってくうちらが、
どう行動するかがもっと大事ですね(・ω・)
昨晩、震災ボランティアから戻って来たばっかりの友達が、
『がちで話したいこといっぱいあるからサヤカんち行くわぁ!!』
ということでうちにやってきました(・∀・)
あったかいごはんとお味噌汁、一緒に食べながら、
お互いが見てきたもの、やったこと、
話してました。
同じ県に行ってても、
どんなことやってきたのかがまた全然違って、
視点も違って、
マスコミもそうだけど、
一方的な観点からだけ物事をとらえちゃダメだって実感した。
行けば必ずやれることはあります。
感じることはありました。
それを発信するのもできることのひとつだなって思います。

3月11日で、黒板が止まっているのが、切ない。
こうやってちょっとでも発信できること、
報告会で聞いてくれた人がいたこと、
誰かがどこかで動くことで、
距離が遠くなっても、
時間がたっても、
震災の風化を防ぐことができるのではないだろうか。
それぞれができることをできる範囲で
やたら長くなりましたが、読んでくれたあなたに感謝 します
大学でも、報告会の機会をいただきました。
新聞も取り上げてくださいました。

【4月8日静岡新聞】

【4月8日中日新聞】
今日で、震災から、1ヵ月です。
震災後もずっと日本にいなくって、
外国人と同じように客観的にしか受け止められてなかったこと、
それで帰国してみたら、
仲間はすでに街頭募金やいろんな活動で動いていてどこかに取り残された感があったこと、
いろいろぐるぐるしてたサヤカでした

そんなとき、
SUAC for Japan っていう、
うち大学の有志で結成された団体が、
長年、途上国で活動してきた大学教授とともに被災地入りをするという 学生を募っていて、
なにも考えず手を挙げてました。
・・・そういう性格らしいです

じっとしてらんなかったんだー。

でもね、
プロじゃない人間が現地に行くことに対して、
ホントに役にたつのかとか、
逆に迷惑じゃないのかとか、
賛否両論もありまして、何度かわけがわからなくなってたけど、
うん。最後は頭で考えるのがめんどくさくなって行くことに決めました。
物資を積んでって、
昼間はボランティア、
夜はテントを張って寝泊まりです。
テントの中でも息が白い・・・さすが、冬の東北

(その3日前まで真夏のインドで生きていたあたしには辛い寒さであった)
自分たちの食べ物や水、ガソリンも全部積んで行きました。
なにを書けばいいだか分からないが、現地の報告をします

宮城県石巻市に行きました。
石巻専修大学構内に、ボランティアセンターがあって、
そこに登録すると、
ボランティアは地図を渡され、現場までチャリで行きます。

(ちゃんと迷子になりました

崩壊してる家々の中から、
畳を運びだしたり、
お年寄りが1人でできない片付けを手伝ったり。
2mくらい水が浸かった家は、足を踏み入れるだけで床が抜けちゃいます


長靴もジャンバーも泥だらけでした。
畳は限界まで水を吸って膨張して、男の人4人がかりでやっと運べる-って感じです。

道端は廃材やごみだらけ。
電柱は倒れてるし、まだ船が家の屋根の上にのっかったままの場所もありました。

家ごとなくなっちゃうような一番壊滅的な地域ももちろん悲惨。
でもうちらが手伝ったような、家の原型はとどめてはいるものの、
思い出のモノが全部なくなってゴミになってしまったような場所が一番多いんだろうな
って思いました(・ω・)
小学校での炊き出しもしてきました 。
NPOの活動をお手伝いするかたちで。

『手渡すときに、必ず一声かけるだよ、ねーちゃん!』
このおじさんたちの笑顔はホントに素敵だった。
九州から来てるおっさんとか、
青年海外協力隊のOB・OGとか、
カナダのメディカルチームの方々、
被災者の人からも、
子供たちからも元気もらいました-(●^□^●)

『あたしもてつだうー!』って、一緒に泥のかき出しをした小学校1年生の女の子。
『おねえちゃんはしずおかからきたんだねー』
・・・子どもは、未来だって思った。
うちら若者が一番動けるんだから、お互い様で動きたい。
行けば、必ずやれることはあります。
今すぐじゃなくても、
ゴールデンウィークでも、夏休みでも。
もっとボランティアの受け入れ態勢は整ってくる。
ニーズにあったお手伝いができるようになるはず。
専門職なんてもってなくても、絶対できることはある。
元気なあなたがいれば。

宮城県から戻って2回、スライド使ったミニ報告会をやりました

時間が経つにつれて、
距離が遠くなるにつれて、
薄くなってっちゃう衝撃を少しでも近くに感じてほしかったから。

31日(帰ってきた日ー実は眠いー)は実家の富士市で地域の方々20人くらいに
ほとんどの人が、質問とか意見とかくれた。
1日(その次の日ーさらに眠いー笑)はいろんな大学の仲間10人くらいに(・∀・)

飲みながら食べながらだったけど、
みんな今回の震災について、いろんな意見を出しあってた。
思ったこと、
やるべきこと、
感じたこと・・・
そのきっかけにちょっとでもなれたなら意味があったと思います

まちづくりについて、原発について、メディアについて、環境について、医療について・・・
みんな専門分野をもってるから、大学生仲間は深かったし興味深かったです(^^)
そんなことを話せる仲間は大事だ。
そんな機会も大事だ。

昨日も、別のミーティングのために集まった大学の友達と、
ラウンジでしゃべり場が始まっちゃって、
5人で2時間半くらい、
今回の震災について話した 。
周りがわいわいお弁当食べてる中、
熱かったねーあのメンツ

本来の目的は果たせなかったが、←笑
なんだか少しもやもやがすっきりした。
非被災者の視点、
報道する側の視点、
防災局で働いてるお父さんが話してくれたってこと、
政治の話、
経済の話、
“不謹慎”について・・・
日常生活に震災の影響はなにもない浜松で、わたしたちは真剣に考えてた。
もちろん、今回のことについて考えることはだいじ。
でもいくら頭で考えても現状は変わらないから、
これからの日本を作ってくうちらが、
どう行動するかがもっと大事ですね(・ω・)

昨晩、震災ボランティアから戻って来たばっかりの友達が、
『がちで話したいこといっぱいあるからサヤカんち行くわぁ!!』
ということでうちにやってきました(・∀・)
あったかいごはんとお味噌汁、一緒に食べながら、
お互いが見てきたもの、やったこと、
話してました。
同じ県に行ってても、
どんなことやってきたのかがまた全然違って、
視点も違って、
マスコミもそうだけど、
一方的な観点からだけ物事をとらえちゃダメだって実感した。
行けば必ずやれることはあります。
感じることはありました。
それを発信するのもできることのひとつだなって思います。

3月11日で、黒板が止まっているのが、切ない。
こうやってちょっとでも発信できること、
報告会で聞いてくれた人がいたこと、
誰かがどこかで動くことで、
距離が遠くなっても、
時間がたっても、
震災の風化を防ぐことができるのではないだろうか。
それぞれができることをできる範囲で

やたら長くなりましたが、読んでくれたあなたに感謝 します

大学でも、報告会の機会をいただきました。
新聞も取り上げてくださいました。

【4月8日静岡新聞】

【4月8日中日新聞】
今日で、震災から、1ヵ月です。