2011年04月11日
宮城、震災ボランティア。3月27日‐31日
11日、地震のニュースをガンジス川のほとりで見て、
震災後もずっと日本にいなくって、
外国人と同じように客観的にしか受け止められてなかったこと、
それで帰国してみたら、
仲間はすでに街頭募金やいろんな活動で動いていてどこかに取り残された感があったこと、
いろいろぐるぐるしてたサヤカでした
そんなとき、
SUAC for Japan っていう、
うち大学の有志で結成された団体が、
長年、途上国で活動してきた大学教授とともに被災地入りをするという 学生を募っていて、
なにも考えず手を挙げてました。
・・・そういう性格らしいです
じっとしてらんなかったんだー。

でもね、
プロじゃない人間が現地に行くことに対して、
ホントに役にたつのかとか、
逆に迷惑じゃないのかとか、
賛否両論もありまして、何度かわけがわからなくなってたけど、
うん。最後は頭で考えるのがめんどくさくなって行くことに決めました。
物資を積んでって、
昼間はボランティア、
夜はテントを張って寝泊まりです。
テントの中でも息が白い・・・さすが、冬の東北
(その3日前まで真夏のインドで生きていたあたしには辛い寒さであった)
自分たちの食べ物や水、ガソリンも全部積んで行きました。
なにを書けばいいだか分からないが、現地の報告をします
宮城県石巻市に行きました。
石巻専修大学構内に、ボランティアセンターがあって、
そこに登録すると、
ボランティアは地図を渡され、現場までチャリで行きます。

(ちゃんと迷子になりました
)
崩壊してる家々の中から、
畳を運びだしたり、
お年寄りが1人でできない片付けを手伝ったり。
2mくらい水が浸かった家は、足を踏み入れるだけで床が抜けちゃいます

長靴もジャンバーも泥だらけでした。
畳は限界まで水を吸って膨張して、男の人4人がかりでやっと運べる-って感じです。

道端は廃材やごみだらけ。
電柱は倒れてるし、まだ船が家の屋根の上にのっかったままの場所もありました。

家ごとなくなっちゃうような一番壊滅的な地域ももちろん悲惨。
でもうちらが手伝ったような、家の原型はとどめてはいるものの、
思い出のモノが全部なくなってゴミになってしまったような場所が一番多いんだろうな
って思いました(・ω・)
小学校での炊き出しもしてきました 。
NPOの活動をお手伝いするかたちで。

『手渡すときに、必ず一声かけるだよ、ねーちゃん!』
このおじさんたちの笑顔はホントに素敵だった。
九州から来てるおっさんとか、
青年海外協力隊のOB・OGとか、
カナダのメディカルチームの方々、
被災者の人からも、
子供たちからも元気もらいました-(●^□^●)

『あたしもてつだうー!』って、一緒に泥のかき出しをした小学校1年生の女の子。
『おねえちゃんはしずおかからきたんだねー』
・・・子どもは、未来だって思った。
うちら若者が一番動けるんだから、お互い様で動きたい。
行けば、必ずやれることはあります。
今すぐじゃなくても、
ゴールデンウィークでも、夏休みでも。
もっとボランティアの受け入れ態勢は整ってくる。
ニーズにあったお手伝いができるようになるはず。
専門職なんてもってなくても、絶対できることはある。
元気なあなたがいれば。

宮城県から戻って2回、スライド使ったミニ報告会をやりました
時間が経つにつれて、
距離が遠くなるにつれて、
薄くなってっちゃう衝撃を少しでも近くに感じてほしかったから。

31日(帰ってきた日ー実は眠いー)は実家の富士市で地域の方々20人くらいに
ほとんどの人が、質問とか意見とかくれた。
1日(その次の日ーさらに眠いー笑)はいろんな大学の仲間10人くらいに(・∀・)
飲みながら食べながらだったけど、
みんな今回の震災について、いろんな意見を出しあってた。
思ったこと、
やるべきこと、
感じたこと・・・
そのきっかけにちょっとでもなれたなら意味があったと思います
まちづくりについて、原発について、メディアについて、環境について、医療について・・・
みんな専門分野をもってるから、大学生仲間は深かったし興味深かったです(^^)
そんなことを話せる仲間は大事だ。
そんな機会も大事だ。

昨日も、別のミーティングのために集まった大学の友達と、
ラウンジでしゃべり場が始まっちゃって、
5人で2時間半くらい、
今回の震災について話した 。
周りがわいわいお弁当食べてる中、
熱かったねーあのメンツ
本来の目的は果たせなかったが、←笑
なんだか少しもやもやがすっきりした。
非被災者の視点、
報道する側の視点、
防災局で働いてるお父さんが話してくれたってこと、
政治の話、
経済の話、
“不謹慎”について・・・
日常生活に震災の影響はなにもない浜松で、わたしたちは真剣に考えてた。
もちろん、今回のことについて考えることはだいじ。
でもいくら頭で考えても現状は変わらないから、
これからの日本を作ってくうちらが、
どう行動するかがもっと大事ですね(・ω・)
昨晩、震災ボランティアから戻って来たばっかりの友達が、
『がちで話したいこといっぱいあるからサヤカんち行くわぁ!!』
ということでうちにやってきました(・∀・)
あったかいごはんとお味噌汁、一緒に食べながら、
お互いが見てきたもの、やったこと、
話してました。
同じ県に行ってても、
どんなことやってきたのかがまた全然違って、
視点も違って、
マスコミもそうだけど、
一方的な観点からだけ物事をとらえちゃダメだって実感した。
行けば必ずやれることはあります。
感じることはありました。
それを発信するのもできることのひとつだなって思います。

3月11日で、黒板が止まっているのが、切ない。
こうやってちょっとでも発信できること、
報告会で聞いてくれた人がいたこと、
誰かがどこかで動くことで、
距離が遠くなっても、
時間がたっても、
震災の風化を防ぐことができるのではないだろうか。
それぞれができることをできる範囲で
やたら長くなりましたが、読んでくれたあなたに感謝 します
大学でも、報告会の機会をいただきました。
新聞も取り上げてくださいました。

【4月8日静岡新聞】

【4月8日中日新聞】
今日で、震災から、1ヵ月です。
震災後もずっと日本にいなくって、
外国人と同じように客観的にしか受け止められてなかったこと、
それで帰国してみたら、
仲間はすでに街頭募金やいろんな活動で動いていてどこかに取り残された感があったこと、
いろいろぐるぐるしてたサヤカでした

そんなとき、
SUAC for Japan っていう、
うち大学の有志で結成された団体が、
長年、途上国で活動してきた大学教授とともに被災地入りをするという 学生を募っていて、
なにも考えず手を挙げてました。
・・・そういう性格らしいです

じっとしてらんなかったんだー。

でもね、
プロじゃない人間が現地に行くことに対して、
ホントに役にたつのかとか、
逆に迷惑じゃないのかとか、
賛否両論もありまして、何度かわけがわからなくなってたけど、
うん。最後は頭で考えるのがめんどくさくなって行くことに決めました。
物資を積んでって、
昼間はボランティア、
夜はテントを張って寝泊まりです。
テントの中でも息が白い・・・さすが、冬の東北

(その3日前まで真夏のインドで生きていたあたしには辛い寒さであった)
自分たちの食べ物や水、ガソリンも全部積んで行きました。
なにを書けばいいだか分からないが、現地の報告をします

宮城県石巻市に行きました。
石巻専修大学構内に、ボランティアセンターがあって、
そこに登録すると、
ボランティアは地図を渡され、現場までチャリで行きます。

(ちゃんと迷子になりました

崩壊してる家々の中から、
畳を運びだしたり、
お年寄りが1人でできない片付けを手伝ったり。
2mくらい水が浸かった家は、足を踏み入れるだけで床が抜けちゃいます


長靴もジャンバーも泥だらけでした。
畳は限界まで水を吸って膨張して、男の人4人がかりでやっと運べる-って感じです。

道端は廃材やごみだらけ。
電柱は倒れてるし、まだ船が家の屋根の上にのっかったままの場所もありました。

家ごとなくなっちゃうような一番壊滅的な地域ももちろん悲惨。
でもうちらが手伝ったような、家の原型はとどめてはいるものの、
思い出のモノが全部なくなってゴミになってしまったような場所が一番多いんだろうな
って思いました(・ω・)
小学校での炊き出しもしてきました 。
NPOの活動をお手伝いするかたちで。

『手渡すときに、必ず一声かけるだよ、ねーちゃん!』
このおじさんたちの笑顔はホントに素敵だった。
九州から来てるおっさんとか、
青年海外協力隊のOB・OGとか、
カナダのメディカルチームの方々、
被災者の人からも、
子供たちからも元気もらいました-(●^□^●)

『あたしもてつだうー!』って、一緒に泥のかき出しをした小学校1年生の女の子。
『おねえちゃんはしずおかからきたんだねー』
・・・子どもは、未来だって思った。
うちら若者が一番動けるんだから、お互い様で動きたい。
行けば、必ずやれることはあります。
今すぐじゃなくても、
ゴールデンウィークでも、夏休みでも。
もっとボランティアの受け入れ態勢は整ってくる。
ニーズにあったお手伝いができるようになるはず。
専門職なんてもってなくても、絶対できることはある。
元気なあなたがいれば。

宮城県から戻って2回、スライド使ったミニ報告会をやりました

時間が経つにつれて、
距離が遠くなるにつれて、
薄くなってっちゃう衝撃を少しでも近くに感じてほしかったから。

31日(帰ってきた日ー実は眠いー)は実家の富士市で地域の方々20人くらいに
ほとんどの人が、質問とか意見とかくれた。
1日(その次の日ーさらに眠いー笑)はいろんな大学の仲間10人くらいに(・∀・)

飲みながら食べながらだったけど、
みんな今回の震災について、いろんな意見を出しあってた。
思ったこと、
やるべきこと、
感じたこと・・・
そのきっかけにちょっとでもなれたなら意味があったと思います

まちづくりについて、原発について、メディアについて、環境について、医療について・・・
みんな専門分野をもってるから、大学生仲間は深かったし興味深かったです(^^)
そんなことを話せる仲間は大事だ。
そんな機会も大事だ。

昨日も、別のミーティングのために集まった大学の友達と、
ラウンジでしゃべり場が始まっちゃって、
5人で2時間半くらい、
今回の震災について話した 。
周りがわいわいお弁当食べてる中、
熱かったねーあのメンツ

本来の目的は果たせなかったが、←笑
なんだか少しもやもやがすっきりした。
非被災者の視点、
報道する側の視点、
防災局で働いてるお父さんが話してくれたってこと、
政治の話、
経済の話、
“不謹慎”について・・・
日常生活に震災の影響はなにもない浜松で、わたしたちは真剣に考えてた。
もちろん、今回のことについて考えることはだいじ。
でもいくら頭で考えても現状は変わらないから、
これからの日本を作ってくうちらが、
どう行動するかがもっと大事ですね(・ω・)

昨晩、震災ボランティアから戻って来たばっかりの友達が、
『がちで話したいこといっぱいあるからサヤカんち行くわぁ!!』
ということでうちにやってきました(・∀・)
あったかいごはんとお味噌汁、一緒に食べながら、
お互いが見てきたもの、やったこと、
話してました。
同じ県に行ってても、
どんなことやってきたのかがまた全然違って、
視点も違って、
マスコミもそうだけど、
一方的な観点からだけ物事をとらえちゃダメだって実感した。
行けば必ずやれることはあります。
感じることはありました。
それを発信するのもできることのひとつだなって思います。

3月11日で、黒板が止まっているのが、切ない。
こうやってちょっとでも発信できること、
報告会で聞いてくれた人がいたこと、
誰かがどこかで動くことで、
距離が遠くなっても、
時間がたっても、
震災の風化を防ぐことができるのではないだろうか。
それぞれができることをできる範囲で

やたら長くなりましたが、読んでくれたあなたに感謝 します

大学でも、報告会の機会をいただきました。
新聞も取り上げてくださいました。

【4月8日静岡新聞】

【4月8日中日新聞】
今日で、震災から、1ヵ月です。
Posted by サヤカ at 18:18│Comments(2)
│震災
この記事へのコメント
なにができるかわからんけど。
自分の場合は、広島でしっかり工場に勤めて、外貨を稼いで、ちょっと募金する
のも支援かなって思う30歳
支援お疲れさまです。
自分の場合は、広島でしっかり工場に勤めて、外貨を稼いで、ちょっと募金する

支援お疲れさまです。
Posted by 広島県民 at 2011年04月25日 22:43
広島県民さん
コメントありがとうございます^^
募金活動の時、
「日本のみなさん、毎日毎日、お仕事ありがとうございます。
まだまだ被災地ではモノや食べ物が足りない場所があります。
みなさんの優しさを少しでも分けていただけると嬉しいです。」
と、声かけしている友達がいました。
私たち学生は、仕事をしてないぶん、
社会人のみなさんができないことを担当してるだけです。
どっかで、いろんなことが支援につながってるって、思いました(^^♪
ありがとうございます。
コメントありがとうございます^^
募金活動の時、
「日本のみなさん、毎日毎日、お仕事ありがとうございます。
まだまだ被災地ではモノや食べ物が足りない場所があります。
みなさんの優しさを少しでも分けていただけると嬉しいです。」
と、声かけしている友達がいました。
私たち学生は、仕事をしてないぶん、
社会人のみなさんができないことを担当してるだけです。
どっかで、いろんなことが支援につながってるって、思いました(^^♪
ありがとうございます。
Posted by サヤカ at 2011年05月03日 19:48