2010年06月27日
しゃべり場 at Bija(浜松)
静岡大学学生による、
国際協力のNGO「Q」が定期的に開催してくれてる、しゃべり場。
今回は、
フェアトレードとオーガニック野菜にこだわるカレー屋さん「Bija」で開催されました。
クリック⇒http://www.bija.jp
今回も、浜松のいろんな大学から、そして大人の方も、
たくさんの人が参加しました

サヤカは、大学で仲良くなったエミリと、
今は鎌倉の短大に通ってる、高校んときの大親友・ユッコを
誘って参加してきました
ここではいつも、
「ワールドカフェ」の形式がとられます。
机にでっかい模造紙が置いてあって、
まずはおんなじテーブルの人たちと、
今日のテーマについて話し合う。

時間になったら、
机にひとりを残して、
他のみんなは別のテーブルへ。
これを繰り返すと、
会場みんなの意見がだんだん共有できてくるのですね
大きく言うと、
「途上国に生きる人たちよりも、先進国に生きる私たちの方が幸せと言えるのだろうか」
みたいなテーマ。・・・だった気がする(゜o゜)
内容は覚えてるんだけど、
テーマ正確には覚えてなくってすみません
前日に、青年海外協力隊の方の報告会を聞いてきたサヤカは、
どんどん頭がぐるぐるしてきてました。
知らなかったら考えもしなかった事実、
知っちゃったから、
ぐるぐるするのです。
迷いもなく、
私たちの方が幸せだ、って言えない私たちは、
なんなのでしょうね。
先進国が幸せ国じゃないね、っていうのはよく分かります。
「物質的に」満たされてる国ってだけなのかな。
答えが出るテーマじゃない。
でも、自分の考えを、考えで終わらせないで、
口から出すって大事だと思うなあ。
頭では分かってるつもりなのに、
いざ話し出すと自分で何言ってんだかわかんなくなるときがある。
でも、
盛り上がった盛り上がった!!!!
頭の整頓は、人に伝えてみるとできるね。
こういう場を作ってくれた「Q」のみなさん、
おいしいカレーを作ってくれたBijaのスタッフさん、
今回一緒にいろんな議論してくれた参加者のみなさん、
素敵な出会いをありがとう

これ、帰り道
ってか、お二人さん、なんで裸足なの?
エミリのそのポーズはいったい???


そして、その日の夜は・・・
エミリ&ユッコがサヤカんにお泊り
サヤカの家でよければ、みんな大歓迎だよっ\(^o^)/
国際協力のNGO「Q」が定期的に開催してくれてる、しゃべり場。
今回は、
フェアトレードとオーガニック野菜にこだわるカレー屋さん「Bija」で開催されました。
クリック⇒http://www.bija.jp
今回も、浜松のいろんな大学から、そして大人の方も、
たくさんの人が参加しました


サヤカは、大学で仲良くなったエミリと、
今は鎌倉の短大に通ってる、高校んときの大親友・ユッコを
誘って参加してきました

ここではいつも、
「ワールドカフェ」の形式がとられます。
机にでっかい模造紙が置いてあって、
まずはおんなじテーブルの人たちと、
今日のテーマについて話し合う。

時間になったら、
机にひとりを残して、
他のみんなは別のテーブルへ。
これを繰り返すと、
会場みんなの意見がだんだん共有できてくるのですね

大きく言うと、
「途上国に生きる人たちよりも、先進国に生きる私たちの方が幸せと言えるのだろうか」
みたいなテーマ。・・・だった気がする(゜o゜)
内容は覚えてるんだけど、
テーマ正確には覚えてなくってすみません

前日に、青年海外協力隊の方の報告会を聞いてきたサヤカは、
どんどん頭がぐるぐるしてきてました。
知らなかったら考えもしなかった事実、
知っちゃったから、
ぐるぐるするのです。
迷いもなく、
私たちの方が幸せだ、って言えない私たちは、
なんなのでしょうね。
先進国が幸せ国じゃないね、っていうのはよく分かります。
「物質的に」満たされてる国ってだけなのかな。
答えが出るテーマじゃない。
でも、自分の考えを、考えで終わらせないで、
口から出すって大事だと思うなあ。
頭では分かってるつもりなのに、
いざ話し出すと自分で何言ってんだかわかんなくなるときがある。
でも、
盛り上がった盛り上がった!!!!
頭の整頓は、人に伝えてみるとできるね。
こういう場を作ってくれた「Q」のみなさん、
おいしいカレーを作ってくれたBijaのスタッフさん、
今回一緒にいろんな議論してくれた参加者のみなさん、
素敵な出会いをありがとう


これ、帰り道

ってか、お二人さん、なんで裸足なの?
エミリのそのポーズはいったい???


そして、その日の夜は・・・
エミリ&ユッコがサヤカんにお泊り

サヤカの家でよければ、みんな大歓迎だよっ\(^o^)/

2010年06月27日
ウィズ at 浜松
ゆっこ(←高校ンときからの親友
)と二人で、
浜松にある「ウィズ」のチャリティーバザーに行ってきました
ウィズ=WITH「いっしょに」
ウィズは平成8年、浜松市にオープンした、
全国で初めての視覚障害者の方中心の授産所です。
障害者のため、ではなく、障害をもつ人たちといっしょに、
が基本的な考え方です。
by 施設長 斯波千秋さん

斯波さんとの最初の出会いは、サヤカが小学校6年生のとき。
夏休みの自由研究でウィズに行きました。
盲導犬や白状や、目が見えないってどういうことだろう??
ってことなど、7年前のサヤカにいろいろな話をしてくださいました
とっても久しぶりな再会のサヤカと、
始めましてのゆっこを、
斯波さんは笑顔で温かく迎えてくださいました(^^♪
雨が最初パラパラ…
って天気だったけど、ホントたくさんの人が集まってきていました。
地域に根付いてるってこういうことなんだなあ、
って勝手に思ってたサヤカでした
最後には、クレープ焼く側でした
笑
なかなか難しいもんです

みなさん優しくて明るい方ばっかりで、
お話してたら時間があっという間でした!!
障害を抱える人に対して、
どうしても抱いちゃう先入観。
それがまた、こわれていく瞬間でした。
みんな苦手なコトがそれぞれあって、
サヤカだって苦手なこと、助けてもらわないとできないことがたくさんある中で、
たまたま「見る」ってことが苦手な人が、
障害者ってくくりで他の人から距離を置かれちゃうのは、
なんでだろーなぁ。
みんな「いっしょに」

斯波さん、
素敵な出会いをありがとう!!
また遊びに行きます(^O^)/

浜松にある「ウィズ」のチャリティーバザーに行ってきました

ウィズ=WITH「いっしょに」
ウィズは平成8年、浜松市にオープンした、
全国で初めての視覚障害者の方中心の授産所です。
障害者のため、ではなく、障害をもつ人たちといっしょに、
が基本的な考え方です。
by 施設長 斯波千秋さん

斯波さんとの最初の出会いは、サヤカが小学校6年生のとき。
夏休みの自由研究でウィズに行きました。
盲導犬や白状や、目が見えないってどういうことだろう??
ってことなど、7年前のサヤカにいろいろな話をしてくださいました

とっても久しぶりな再会のサヤカと、
始めましてのゆっこを、
斯波さんは笑顔で温かく迎えてくださいました(^^♪
雨が最初パラパラ…
って天気だったけど、ホントたくさんの人が集まってきていました。
地域に根付いてるってこういうことなんだなあ、
って勝手に思ってたサヤカでした

最後には、クレープ焼く側でした

なかなか難しいもんです


みなさん優しくて明るい方ばっかりで、
お話してたら時間があっという間でした!!
障害を抱える人に対して、
どうしても抱いちゃう先入観。
それがまた、こわれていく瞬間でした。
みんな苦手なコトがそれぞれあって、
サヤカだって苦手なこと、助けてもらわないとできないことがたくさんある中で、
たまたま「見る」ってことが苦手な人が、
障害者ってくくりで他の人から距離を置かれちゃうのは、
なんでだろーなぁ。
みんな「いっしょに」


斯波さん、
素敵な出会いをありがとう!!
また遊びに行きます(^O^)/

2010年06月26日
アースカレッジ沼津プログラム at 東部パレット
静岡県沼津市にある、東部地域交流プラザ(東部パレット)で、
「国際交流」「国際協力」について考えるイベントが開催されました
今回のイベントの正式名称は、「静岡県多文化共生事業 アースカレッジ沼津プログラム&JICAサロン」
第一部ではフードマイレージについて学びました。
サヤカはこの言葉、始めて聞きました
フードマイレージとは、
食べ物が生産地から売り場まで届く過程のCO2排出量や消費エネルギーを測るもの。
食べ物の重さ(t)×運ばれた距離(km)で計算されます。
これが大きければそれだけ環境にコストがかかります。
買い物ゲームを通じて、
普段の食事が出来上がるまでにどれだけのフードマイレージがかかっているのか実感しました
例えば!!
静岡県産のみかんと、チリ産のオレンジでは、目には見えないがフードマイレージが大きく違います。
もちろん、フードマイレージが大きいのはチリ産オレンジ
また、一昔前は国内で長距離を運ぶ時、貨物列車を利用していたんだけれど、
最近は高速道路を使ってほとんどトラックが運ぶようになったそうです。
1970年に全国で700kmしか整備されていなかった高速道路が、
今では7000kmも整備されてる
輸送手段の中で最もフードマイレージが大きくなるのは、トラック輸送。
私たちに出来ることは、地産地消を目指しなるべく近くで作られる野菜や肉を食べることなんだって。
グループでたくさんの意見交換しました(^-^)
でも!!
これを聞いてサヤカの頭ン中がぐるぐるしてきたコトがひとつ。
読むとあなたの頭の中もぐるぐるすることでしょう
笑
まず、遠くの途上国の食べ物や特産物を輸入するのはいいことなのか。
今までは、その途上国にお金が支払われ、産業も活発化するから全面的によいことだと思ってた私。
でも、今回、地産地消を目指し、
環境のためになるべくフードマイレージを低くしよう、というお話を聞いた。
それに、安く大量に先進国に輸出するためのプランテーションのため、
安い労働を現地の人々が強いられたり、労働災害も発生していることが分かった。
ん??????
では、輸入はしないほうがよいのか
?
そうすると、今ある仕事がなくなる途上国の人々もいるはず。
最近よく耳にするフェアトレードはどうなるのか。
活性化させてよいものなのか???
国内で間に合ってる種類の製品を、わざわざ外国と貿易する。
これはフードマイレージの考え方と相反しているのでは?????
頭の中がだんだん混乱してきた。
もうちょっと、ぐるぐる考えようと思います(@_@;)
誰か、サヤカに、この件について、あぁ!!!なるほど。って話をしてくださいな。

それから、青年海外協力隊で途上国に赴任してきた方々のお話も聞きました
まず、、、
世界の現状。
世界の人口約67億人のうち、約8割が開発途上国で暮らしている
・JICAの仕事は、途上国の人々が困っていることを一緒に解決するために、途上国のみなさんと一緒に考え、さまざまな問題を1つずつ解決していくこと。
・JICAの事業のひとつに、ボランティア派遣がある。
①20才~39才=青年海外協力隊
②40才~69才=シニア海外ボランティア
・青年海外協力隊は、世界87カ国で34,505人の活動実績を持つ。
現在も74カ国で2509人が活躍中
お話を聞いて知ったコト・考えたコトはたくさんありました。
ここには入りきりません
いずれにしろ、私は大学を卒業した後どこかで2年間必ず青年海外協力隊に参加しようと決めてます。
今、大学生の私が学べることは、
今回の様に実際の現状を経験者や世界を見てきた人から聞いたり、
本で読んで考えること、
友達と話し合うことくらいしかないです。
だから、この間にたくさんの知識と自分なりの考えを持って、
協力隊員として現地に行く時に知識だけじゃない経験をしたい。
『国際協力は難しいことではない。
人類共通の課題について、国を超えて考えること』
講師の方のこの言葉が印象的でした
不破さんにも、今度、協力隊に行ったときの話を聞きに行こっ!!
今回もたくさんの出会いにありがとうでした(^^♪
「国際交流」「国際協力」について考えるイベントが開催されました

今回のイベントの正式名称は、「静岡県多文化共生事業 アースカレッジ沼津プログラム&JICAサロン」
第一部ではフードマイレージについて学びました。
サヤカはこの言葉、始めて聞きました

フードマイレージとは、
食べ物が生産地から売り場まで届く過程のCO2排出量や消費エネルギーを測るもの。
食べ物の重さ(t)×運ばれた距離(km)で計算されます。
これが大きければそれだけ環境にコストがかかります。
買い物ゲームを通じて、
普段の食事が出来上がるまでにどれだけのフードマイレージがかかっているのか実感しました

例えば!!
静岡県産のみかんと、チリ産のオレンジでは、目には見えないがフードマイレージが大きく違います。
もちろん、フードマイレージが大きいのはチリ産オレンジ

また、一昔前は国内で長距離を運ぶ時、貨物列車を利用していたんだけれど、
最近は高速道路を使ってほとんどトラックが運ぶようになったそうです。
1970年に全国で700kmしか整備されていなかった高速道路が、
今では7000kmも整備されてる

輸送手段の中で最もフードマイレージが大きくなるのは、トラック輸送。
私たちに出来ることは、地産地消を目指しなるべく近くで作られる野菜や肉を食べることなんだって。
グループでたくさんの意見交換しました(^-^)

でも!!
これを聞いてサヤカの頭ン中がぐるぐるしてきたコトがひとつ。
読むとあなたの頭の中もぐるぐるすることでしょう

まず、遠くの途上国の食べ物や特産物を輸入するのはいいことなのか。
今までは、その途上国にお金が支払われ、産業も活発化するから全面的によいことだと思ってた私。
でも、今回、地産地消を目指し、
環境のためになるべくフードマイレージを低くしよう、というお話を聞いた。
それに、安く大量に先進国に輸出するためのプランテーションのため、
安い労働を現地の人々が強いられたり、労働災害も発生していることが分かった。
ん??????
では、輸入はしないほうがよいのか

そうすると、今ある仕事がなくなる途上国の人々もいるはず。
最近よく耳にするフェアトレードはどうなるのか。
活性化させてよいものなのか???
国内で間に合ってる種類の製品を、わざわざ外国と貿易する。
これはフードマイレージの考え方と相反しているのでは?????
頭の中がだんだん混乱してきた。
もうちょっと、ぐるぐる考えようと思います(@_@;)
誰か、サヤカに、この件について、あぁ!!!なるほど。って話をしてくださいな。

それから、青年海外協力隊で途上国に赴任してきた方々のお話も聞きました

まず、、、
世界の現状。
世界の人口約67億人のうち、約8割が開発途上国で暮らしている

・JICAの仕事は、途上国の人々が困っていることを一緒に解決するために、途上国のみなさんと一緒に考え、さまざまな問題を1つずつ解決していくこと。
・JICAの事業のひとつに、ボランティア派遣がある。
①20才~39才=青年海外協力隊
②40才~69才=シニア海外ボランティア
・青年海外協力隊は、世界87カ国で34,505人の活動実績を持つ。
現在も74カ国で2509人が活躍中
お話を聞いて知ったコト・考えたコトはたくさんありました。
ここには入りきりません

いずれにしろ、私は大学を卒業した後どこかで2年間必ず青年海外協力隊に参加しようと決めてます。
今、大学生の私が学べることは、
今回の様に実際の現状を経験者や世界を見てきた人から聞いたり、
本で読んで考えること、
友達と話し合うことくらいしかないです。
だから、この間にたくさんの知識と自分なりの考えを持って、
協力隊員として現地に行く時に知識だけじゃない経験をしたい。
『国際協力は難しいことではない。
人類共通の課題について、国を超えて考えること』
講師の方のこの言葉が印象的でした

不破さんにも、今度、協力隊に行ったときの話を聞きに行こっ!!
今回もたくさんの出会いにありがとうでした(^^♪
2010年06月19日
英語スピーチコンテスト
さやかは、大学でESS(English Speaking Society)っていう英会話サークルに入ってます
ESSは、静岡大学や静岡県立大学にもあって、
たまに合同でイベントがあります!!
土曜日は、英語スピーチコンテストat静大 でした。

さやかは、以前ここに書いた新聞記事のこと、
日本兵だったおじいさんにお話を聞きに行ったことを題材にしました。
高校のときにチャレンジした英語スピーチコンテストの指導をしてくださった先生たちの教えを思い出しながら、頑張って文章考えたし、いっぱい練習しました!!
結果、優勝いただきました
とっても嬉しかった♪
井出さん(インタビューしたおじいさん)へのおみやげ話がまた増えました
井出さんに感謝です。
井出さんとのつながりを橋渡ししてくれた静岡新聞の市川記者に感謝、感謝です。
それから、英会話は高校のときからNHKのラジオ英会話を聞いてきたのですが、
毎月のテキストを買ってくれた裾野のおばあちゃんにも感謝、感謝。
そのラジオ英会話を聴いたり、録音したりするmp3搭載ラジオや大学での行き帰りに聴く英語レッスン収録のmp3プレーヤーをくださった「まもさん」には特に感謝、感謝です。
ここにスピーチの原稿載せるんで読んでみてください☆
We are the last chance generation
Shizuoka University Art and Culture
1st grade SayakaWatanabe
Today, I’d like to tell you about a special person and experience.
「I want to meet with him and talk with him.」
One day, I read Shizuoka newspaper article about 89-year-old man.
He was a soldier during world war Ⅱ.
In the article, the man ,a world war Ⅱ soldier, said that the experiences of the elderly should be passed on to the next generation.
This idea moved me.
I called the Shizuoka newspaper company at once.
I asked the newspaper reporter the address of the old man.
Soon the old man and I began corresponding by FAX.
Later he invited me to come to his house.
He said he wanted to show me notes he had written.
This spring vacation, I visited him.
His house was in a very rural area on the outskirts of Fujinomiya city.
When we met, I was a little surprised at how short he was.
He smiled at me and gave me some juice.
We sat down at his kotatsu table and talked together.
I’d like to tell you what he said.
He went to war when he was 19 years old -- the same age I am now.
At that time, in Japan, all men who became 20 years old had to go to war.
They were taught that death for country is the most beautiful fate a man can have.
And they believed this with all their hearts.
So he said that he wanted to join the war as a soldier sooner and sooner.
He was assigned to go to China.
They walked about 30km to 40km per day.
They had no food so they stole food from the local Chinese people.
He saw a lot of combat, and saw many friends killed with his own eyes.
He told me that his friends who were captured had their ears cut off,
because those ears could be used as evidence of their capture.
This was a terrible story, but I found his next story saddest of all.
When he came back to Japan after World WarⅡ,
one of his neighbors ,an old women, said to him
’How dare you come back alive, having lost the war??….’
I wondered how I would have felt in his place.
What is the most important thing in the world?
Isn't it a person’s life??
My conversation with him made me think more about life.
One day, there was a call from the Shizuoka Newspaper.
A reporter asked me for permission to write a story about my contact with the old soldier.
Of course I replied ‘YES’!
This Golden Week, I hit upon a good idea.
I want a lot of people to read his war memoirs.
But his notes have so many pages,
and use vocabulary and Chinese characters
that are so difficult for young people today to read and understand.
So, I decided to type up his notes.
It took me about total of 20 hours to complete.
That was very hard work for me.
But I felt very satisfied after I finished.
On May 10, the article was carried in the Shizuoka newspaper.
I hope people will become interested in learning about that war for themselves.
The next day, calls from readers came to my university and the newspaper company.
One man who called me had been in the navy during the war.
We promised to meet each other this coming summer vacation.
We are the last generation who will be able to hear about Worldwar Ⅱ directly
from people who actually experienced it.
Our children will not have such a chance.
It is our responsibility to help record the experiences of the war generation,
in part for the cause of history,
and in part so that future generations can hopefully avoid the tragedy of war.

ESSは、静岡大学や静岡県立大学にもあって、
たまに合同でイベントがあります!!
土曜日は、英語スピーチコンテストat静大 でした。

さやかは、以前ここに書いた新聞記事のこと、
日本兵だったおじいさんにお話を聞きに行ったことを題材にしました。
高校のときにチャレンジした英語スピーチコンテストの指導をしてくださった先生たちの教えを思い出しながら、頑張って文章考えたし、いっぱい練習しました!!
結果、優勝いただきました

とっても嬉しかった♪
井出さん(インタビューしたおじいさん)へのおみやげ話がまた増えました

井出さんに感謝です。
井出さんとのつながりを橋渡ししてくれた静岡新聞の市川記者に感謝、感謝です。
それから、英会話は高校のときからNHKのラジオ英会話を聞いてきたのですが、
毎月のテキストを買ってくれた裾野のおばあちゃんにも感謝、感謝。
そのラジオ英会話を聴いたり、録音したりするmp3搭載ラジオや大学での行き帰りに聴く英語レッスン収録のmp3プレーヤーをくださった「まもさん」には特に感謝、感謝です。
ここにスピーチの原稿載せるんで読んでみてください☆
We are the last chance generation
Shizuoka University Art and Culture
1st grade SayakaWatanabe
Today, I’d like to tell you about a special person and experience.
「I want to meet with him and talk with him.」
One day, I read Shizuoka newspaper article about 89-year-old man.
He was a soldier during world war Ⅱ.
In the article, the man ,a world war Ⅱ soldier, said that the experiences of the elderly should be passed on to the next generation.
This idea moved me.
I called the Shizuoka newspaper company at once.
I asked the newspaper reporter the address of the old man.
Soon the old man and I began corresponding by FAX.
Later he invited me to come to his house.
He said he wanted to show me notes he had written.
This spring vacation, I visited him.
His house was in a very rural area on the outskirts of Fujinomiya city.
When we met, I was a little surprised at how short he was.
He smiled at me and gave me some juice.
We sat down at his kotatsu table and talked together.
I’d like to tell you what he said.
He went to war when he was 19 years old -- the same age I am now.
At that time, in Japan, all men who became 20 years old had to go to war.
They were taught that death for country is the most beautiful fate a man can have.
And they believed this with all their hearts.
So he said that he wanted to join the war as a soldier sooner and sooner.
He was assigned to go to China.
They walked about 30km to 40km per day.
They had no food so they stole food from the local Chinese people.
He saw a lot of combat, and saw many friends killed with his own eyes.
He told me that his friends who were captured had their ears cut off,
because those ears could be used as evidence of their capture.
This was a terrible story, but I found his next story saddest of all.
When he came back to Japan after World WarⅡ,
one of his neighbors ,an old women, said to him
’How dare you come back alive, having lost the war??….’
I wondered how I would have felt in his place.
What is the most important thing in the world?
Isn't it a person’s life??
My conversation with him made me think more about life.
One day, there was a call from the Shizuoka Newspaper.
A reporter asked me for permission to write a story about my contact with the old soldier.
Of course I replied ‘YES’!
This Golden Week, I hit upon a good idea.
I want a lot of people to read his war memoirs.
But his notes have so many pages,
and use vocabulary and Chinese characters
that are so difficult for young people today to read and understand.
So, I decided to type up his notes.
It took me about total of 20 hours to complete.
That was very hard work for me.
But I felt very satisfied after I finished.
On May 10, the article was carried in the Shizuoka newspaper.
I hope people will become interested in learning about that war for themselves.
The next day, calls from readers came to my university and the newspaper company.
One man who called me had been in the navy during the war.
We promised to meet each other this coming summer vacation.
We are the last generation who will be able to hear about Worldwar Ⅱ directly
from people who actually experienced it.
Our children will not have such a chance.
It is our responsibility to help record the experiences of the war generation,
in part for the cause of history,
and in part so that future generations can hopefully avoid the tragedy of war.
2010年06月12日
富士山国際エコキャンプ村
こんにちは
さやかは今年「富士山国際エコキャンプ村」のスタッフをしています。
まずちょっとご紹介♪
『この夏 最高の仲間達に出会いたい』
『環境問題や社会に対して、自分ができることを見つけ出したい』
『身近に海外の青年と交流してみたい』
そんな人にオススメのキャンプの紹介です
+++国際ワークキャンプ 富士山国際エコキャンプ村2010+++
~踏み出せ一歩!!出会って広がる君と世界~
8月16日~22日
◆国際ワークキャンプとは?◆
簡単に言うと『合宿型ボランティア』です。
国内外から集まった青年達が、共通の目標、
意識を持って共同生活を行いながら、ボランティアワークへと出かけます。
エコキャンプ村の場合は海外から10名、
国内からスタッフ含めて90名ほどの青年が集まります。
◆富士山国際エコキャンプ村って?◆
『富士山国際エコキャンプ村』は、
富士山の麓にある国立中央青少年交流の家(静岡県御殿場市)で行います。
ボランティアハウス~和Nagomi~という活動拠点で、
100人の仲間と7日間共同生活しながら、
地域に出かけてボランティアワークをします。
具体的な内容は、5つのワーク(森林、バラ園、酪農、ごみ拾い、福祉)から1つを選び、
実際に御殿場の地域に出て作業をします。
エコキャンプ村では富士山の清掃活動を中核としており、最終日には全員でごみ拾いを行います。
これらを通して、青年達が社会に貢献できるという自信をもち、エコキャンプ村が終わった後、実際に 地域・行政・企業・大学に働きかけていくこと
『青年の社会参画』を目標としています。
主に大学生、中には大人の方まで参加します。
いろんな人間に触れる、いろんな考えに触れる、そしてそれぞれが新しい一歩を各自が踏み出す事を
最終目標にしてます。
興味をもったあなたは
http://www.camp-fuji.toypark.in/
クリック!!
企画・運営・広報、、、
全部大学生スタッフが頑張ってます。
月1回ミーティングします。
これは夕飯シーン
みんなで作りました。

今回のミーティングは主に広報について
あ!ミーティングじたいはちゃんと会議室でやってますよ
!!
100人をどーやって集めるか。
友達・仲間・知り合いにこの企画を伝えたり、
自分の大学で広報プレゼンをしたり、
他の大学のサークルに働きかけて、説明会を実施したり。。。
もちろんインターネットでも広報するし、
ポスターも貼ります。
でも1番はやっぱり face to face だということで。
直接私たちがエコキャンの良さ、おもしろさを語って、
興味持ってくれた人を連れてきたい・仲間にしたいねって話しました。
さやかは高校2年のとき始めてエコキャンに参加しました
そうそう、国際エコキャンといえば、忘れられない思い出が一つ。
期間中に高校への登校日があり、御殿場の隣市・裾野に住むおじいちゃん、おばあちゃんが朝早く車で迎えに来てくれて、富士の高校まで送ってくれたんです。
その日がすごい土砂降りで、まさに、バケツをひっくり返したような大雨。そんな中を走ってくれたおじいちゃん、あの時はありがとう!!
始めて会う同世代の人たちと寝食共にする1週間はきっとスペシャルな経験になるはず!!
興味もった人はぜひ声掛けてください♪

さやかは今年「富士山国際エコキャンプ村」のスタッフをしています。
まずちょっとご紹介♪
『この夏 最高の仲間達に出会いたい』
『環境問題や社会に対して、自分ができることを見つけ出したい』
『身近に海外の青年と交流してみたい』
そんな人にオススメのキャンプの紹介です

+++国際ワークキャンプ 富士山国際エコキャンプ村2010+++
~踏み出せ一歩!!出会って広がる君と世界~
8月16日~22日
◆国際ワークキャンプとは?◆
簡単に言うと『合宿型ボランティア』です。
国内外から集まった青年達が、共通の目標、
意識を持って共同生活を行いながら、ボランティアワークへと出かけます。
エコキャンプ村の場合は海外から10名、
国内からスタッフ含めて90名ほどの青年が集まります。
◆富士山国際エコキャンプ村って?◆
『富士山国際エコキャンプ村』は、
富士山の麓にある国立中央青少年交流の家(静岡県御殿場市)で行います。
ボランティアハウス~和Nagomi~という活動拠点で、
100人の仲間と7日間共同生活しながら、
地域に出かけてボランティアワークをします。
具体的な内容は、5つのワーク(森林、バラ園、酪農、ごみ拾い、福祉)から1つを選び、
実際に御殿場の地域に出て作業をします。
エコキャンプ村では富士山の清掃活動を中核としており、最終日には全員でごみ拾いを行います。
これらを通して、青年達が社会に貢献できるという自信をもち、エコキャンプ村が終わった後、実際に 地域・行政・企業・大学に働きかけていくこと
『青年の社会参画』を目標としています。
主に大学生、中には大人の方まで参加します。
いろんな人間に触れる、いろんな考えに触れる、そしてそれぞれが新しい一歩を各自が踏み出す事を
最終目標にしてます。
興味をもったあなたは
http://www.camp-fuji.toypark.in/
クリック!!
企画・運営・広報、、、
全部大学生スタッフが頑張ってます。
月1回ミーティングします。
これは夕飯シーン

みんなで作りました。

今回のミーティングは主に広報について

あ!ミーティングじたいはちゃんと会議室でやってますよ

100人をどーやって集めるか。
友達・仲間・知り合いにこの企画を伝えたり、
自分の大学で広報プレゼンをしたり、
他の大学のサークルに働きかけて、説明会を実施したり。。。
もちろんインターネットでも広報するし、
ポスターも貼ります。
でも1番はやっぱり face to face だということで。
直接私たちがエコキャンの良さ、おもしろさを語って、
興味持ってくれた人を連れてきたい・仲間にしたいねって話しました。
さやかは高校2年のとき始めてエコキャンに参加しました

そうそう、国際エコキャンといえば、忘れられない思い出が一つ。
期間中に高校への登校日があり、御殿場の隣市・裾野に住むおじいちゃん、おばあちゃんが朝早く車で迎えに来てくれて、富士の高校まで送ってくれたんです。
その日がすごい土砂降りで、まさに、バケツをひっくり返したような大雨。そんな中を走ってくれたおじいちゃん、あの時はありがとう!!
始めて会う同世代の人たちと寝食共にする1週間はきっとスペシャルな経験になるはず!!
興味もった人はぜひ声掛けてください♪
2010年06月06日
京都研修旅行
大学の新入生研修旅行で京都に行ってまいりました
池田屋事件って知ってます??
OO年前(何年前だか忘れた
)のちょうど今日が池田屋事件の起こった日。
その日にその跡地をめぐろう!!
って企画でした。
さやかは日本史好きだったし楽しかったしわくわくでした
じゃあ写真をいくつか。
池田屋事件の跡地

司太夫さんと神室(かむろ)ちゃん

京都の警察は馬に乗ってるらしい

さやかの美人な友達

30度の京都で日焼けして帰ってきました

池田屋事件って知ってます??
OO年前(何年前だか忘れた

その日にその跡地をめぐろう!!
って企画でした。
さやかは日本史好きだったし楽しかったしわくわくでした

じゃあ写真をいくつか。
池田屋事件の跡地

司太夫さんと神室(かむろ)ちゃん

京都の警察は馬に乗ってるらしい

さやかの美人な友達


30度の京都で日焼けして帰ってきました
