2010年09月14日
沖縄・長崎・広島 ~戦争の跡地を巡る旅~ 後半戦
サヤカです
9月4日スタートの10日間の旅が終わり、無事に静岡県浜松市まで帰ってきました(^_-)-☆
旅の後半戦を報告しますねヾ(゜∀゜)シ+.゜

沖縄から鹿児島に帰ってきたのち、9日は1日すべて移動に費やしました

九州を縦に縦に....
長崎が目標なのだが、佐賀までしかたどり着けず(*_*)
夜の9時に空腹のあまり移動をあきらめ、佐賀県の、とあるラーメン屋へ
タンタンメン最高でした!!
しかしここで終わらないのが私たち\(^o^)/
サヤカ『すみません、このへん、カラオケとかありますかね-??』
店長『いやぁ田舎だからね-・・・・歩いたら2時間ぐらいかなぁ』
サヤカ『(@_@;)
あっじゃぁネットカフェとかありますかね??』
店長『いやぁ田舎だからね-・・歩いたら3時間ぐらいかなぁ・・』
サヤカ『(゜□゜


』
昨日、大分県で、一人旅の女のヒト殺されてるし(←マジでびびってました
)、
次のでかい駅まで行く電車はもう終わっちゃったし、
このヘビー級の荷物持って3時間歩いたら、
身長10cm縮んだあげく明日肉離れしそうだし......(*_*)
そこで店長の一言。
『なんなら俺んち泊まるか??部屋ちょうど3つ空いてるぞ
』
・・・・店長
!!
ということで見ず知らずの私たち3人をタダで泊めてくださいました。

ヒトってあったかいなぁと改めて実感しました\(^o^)/
その夜は、
店長含め、
4人で飲み
、
恋愛話をし
、
映画を見て
、
大富豪をやり
、
最強に盛り上がり
、
気付くと朝の4時30分。
5時まで仮眠を取り出発です
!!
店長は寝不足&二日酔いでラーメン屋です
笑
え??風呂??
そんなコトは気にしませんが
10日は長崎の原爆平和資料館です。

目を覆いたくなるような写真や遺品を見ながら歩いていたら、後ろからこんな声が。
『この写真の右から2番目が私のにいさんよ』
『あなたが資料館に寄付した写真ってこれだったのね』
『あのときはね-この場所が一番ひどかったのよね』
え!?
もしや。
おもわずおばあちゃん3人に話しかけてみました(^_^)/
そしたら、全員、子供の時に実際に長崎で被爆された方だったのです...
原爆が落ちた瞬間は、
みんな自分が撃たれたと思ったそうです。
それくらい激しい衝撃だったのです。
小学校や中学校に行って、
体験を伝えるボランティアをされてる方だったので、
たくさんの話を聞きました。
目の前で皮膚がたれさがった人間を見て、
毎日毎日人が薪のように積まれて焼かれていくのを見ていたそうです。
単に事実として知っていることと、
実際に生の声を聞くことは全然違います。
一度はみなさんにも足を運んでほしい
11日、山口まで移動
山口県の友達・そるとの家に宿泊
すっごく久しぶりぶりの再開でした。
サヤカが中学生、そるとが大学生のとき、
そるとはたごっこに顔を出してくれていました(^^♪
会えてよかった!!
ありがとう\(^o^)/
お世話になりました!!!
そして12日、5時に始発⇒広島へ
そしてここからサヤカの一人旅です\(^o^)/
原爆ドームと資料館に行ってきました。
まずは、写真でしか見たことがない原爆ドームが、
静かに静かにたっているのを見つめていました。
青い空が、鉄骨だけの屋根から見えてて、
あの日も暑かっただろうなって思いました。

公園で、無料でボランティアガイドをやっている方がいました。
最初は遠くで聞いてたけど、
ずーっと聞いてたら(1時間ぐらいですかね)、
おじさんが話しかけてくれました。
そのおじさんは、胎内被爆っていって、
お母さんのお腹にいるときに原爆が落ちたの。
いつ白血病が発症するからわからない。
広島の人も、原爆のことを知らない人・興味持たない人がだんだん増えてる、
ってコトを言っていたけど、
それってさ、
日本人なのに日本の過去を、
歴史を知らないっていうのと同じなのかなぁと感じました。
おじさんと話して、いろんなことを学べた
でも、おじさんも言ってたけど、
資料館には書かれてないこともたくさんあった。
日本にマイナスなこと、
それからアメリカにマイナスなことは、
詳しくは・はっきりとは書かれてない。
でも知りたいし、知らなきゃいけないことだよ、絶対。
ずたずたな写真や絵を見ながら、ここから死ぬ思いで生き延びた人たちは、
今のこの日本を築きたくて、築くために、生き延びたんじゃないような気がした。
上手くは言えないけど。
夕方、野外炊事キャンプを終えた、エコキャン2010の仲間、
おかん・ちえ・ヤス・ポール・こーえい・しず・ヒロたちと合流させてもらいました
!!
とっても参加したかったキャンプだったけど、今回はしょうがなかった・・・(*_*)
お好み焼きを食べました
夕方は、おかん・ちえ・ポールと飲みました
大学だけじゃない、その外の世界にもあたしにはこんなに心強い仲間がいるってコトに感謝します(*^^)v
気持ちよくなったところで、おかんの家に宿泊\(^o^)/
次は我が家に来てください
13日、おかんママのおにぎりを持って名古屋へ
電車に3時間連続、はい2分で乗り換え、次は2時間連続...
ってのが普通になってる自分がウケる!!笑
久しぶりに行った名古屋のばあちゃんちに泊まり、
戦争体験者であるばあちゃんといろんな話をし、
14日の5時46分の電車に乗り、
無事におうちに到達です
実はサヤカの富士登山の棒を、
エコキャン海外参加者のMARCOが間違えて持っていってしまっていて、
何日に旅から帰ってくるか聞かれて14日と確かに答えたのですが、
駅に着いたらMARCOがいたのには驚きましたね(゜△゜)!!!
彼は日本中を旅している途中だそうです
そこからは浜松観光をしました(^^♪
二人とも半端なくでかい荷物だから目立つ目立つ!!笑
こうして、戦争の跡地を巡る、10日間に渡る旅が幕を閉じました
人間ってあったかいな-と、人間って悲惨だな-の2つを実感するような旅でした。
みんなも旅に出てみたらどうですか??
ここまでアホみたいに長旅をしなくてもいいので( ̄ー ̄)
青春18きっぷなら、10000円で5日間移動しほうだいです
サヤカは今回の旅が終わって、次になにができるかを考えてます
報告会って形にしようと思う(^^)/~~~
伝えてく。
あたしたちが、戦争体験者の生の声を聞けるラストチャンス世代だから!!
たくさんの人に支えられて実現した旅でした(o^□^o)ノ
そしてここまで読んでくれてありがとう!!
この旅に興味をもってくれた方、
そしてサヤカに興味をもってくれた方(笑)、
また語りましょう(∀)
連絡待ってます
では。

9月4日スタートの10日間の旅が終わり、無事に静岡県浜松市まで帰ってきました(^_-)-☆
旅の後半戦を報告しますねヾ(゜∀゜)シ+.゜

沖縄から鹿児島に帰ってきたのち、9日は1日すべて移動に費やしました


九州を縦に縦に....
長崎が目標なのだが、佐賀までしかたどり着けず(*_*)
夜の9時に空腹のあまり移動をあきらめ、佐賀県の、とあるラーメン屋へ

タンタンメン最高でした!!
しかしここで終わらないのが私たち\(^o^)/
サヤカ『すみません、このへん、カラオケとかありますかね-??』
店長『いやぁ田舎だからね-・・・・歩いたら2時間ぐらいかなぁ』
サヤカ『(@_@;)

店長『いやぁ田舎だからね-・・歩いたら3時間ぐらいかなぁ・・』
サヤカ『(゜□゜




昨日、大分県で、一人旅の女のヒト殺されてるし(←マジでびびってました

次のでかい駅まで行く電車はもう終わっちゃったし、
このヘビー級の荷物持って3時間歩いたら、
身長10cm縮んだあげく明日肉離れしそうだし......(*_*)
そこで店長の一言。
『なんなら俺んち泊まるか??部屋ちょうど3つ空いてるぞ

・・・・店長

ということで見ず知らずの私たち3人をタダで泊めてくださいました。

ヒトってあったかいなぁと改めて実感しました\(^o^)/
その夜は、
店長含め、
4人で飲み

恋愛話をし

映画を見て

大富豪をやり

最強に盛り上がり

気付くと朝の4時30分。
5時まで仮眠を取り出発です

店長は寝不足&二日酔いでラーメン屋です

え??風呂??
そんなコトは気にしませんが

10日は長崎の原爆平和資料館です。

目を覆いたくなるような写真や遺品を見ながら歩いていたら、後ろからこんな声が。
『この写真の右から2番目が私のにいさんよ』
『あなたが資料館に寄付した写真ってこれだったのね』
『あのときはね-この場所が一番ひどかったのよね』
え!?
もしや。
おもわずおばあちゃん3人に話しかけてみました(^_^)/
そしたら、全員、子供の時に実際に長崎で被爆された方だったのです...
原爆が落ちた瞬間は、
みんな自分が撃たれたと思ったそうです。
それくらい激しい衝撃だったのです。
小学校や中学校に行って、
体験を伝えるボランティアをされてる方だったので、
たくさんの話を聞きました。
目の前で皮膚がたれさがった人間を見て、
毎日毎日人が薪のように積まれて焼かれていくのを見ていたそうです。
単に事実として知っていることと、
実際に生の声を聞くことは全然違います。
一度はみなさんにも足を運んでほしい

11日、山口まで移動

山口県の友達・そるとの家に宿泊

すっごく久しぶりぶりの再開でした。
サヤカが中学生、そるとが大学生のとき、
そるとはたごっこに顔を出してくれていました(^^♪

会えてよかった!!
ありがとう\(^o^)/
お世話になりました!!!
そして12日、5時に始発⇒広島へ

そしてここからサヤカの一人旅です\(^o^)/
原爆ドームと資料館に行ってきました。
まずは、写真でしか見たことがない原爆ドームが、
静かに静かにたっているのを見つめていました。
青い空が、鉄骨だけの屋根から見えてて、
あの日も暑かっただろうなって思いました。

公園で、無料でボランティアガイドをやっている方がいました。
最初は遠くで聞いてたけど、
ずーっと聞いてたら(1時間ぐらいですかね)、
おじさんが話しかけてくれました。
そのおじさんは、胎内被爆っていって、
お母さんのお腹にいるときに原爆が落ちたの。
いつ白血病が発症するからわからない。
広島の人も、原爆のことを知らない人・興味持たない人がだんだん増えてる、
ってコトを言っていたけど、
それってさ、
日本人なのに日本の過去を、
歴史を知らないっていうのと同じなのかなぁと感じました。
おじさんと話して、いろんなことを学べた

でも、おじさんも言ってたけど、
資料館には書かれてないこともたくさんあった。
日本にマイナスなこと、
それからアメリカにマイナスなことは、
詳しくは・はっきりとは書かれてない。
でも知りたいし、知らなきゃいけないことだよ、絶対。
ずたずたな写真や絵を見ながら、ここから死ぬ思いで生き延びた人たちは、
今のこの日本を築きたくて、築くために、生き延びたんじゃないような気がした。
上手くは言えないけど。
夕方、野外炊事キャンプを終えた、エコキャン2010の仲間、
おかん・ちえ・ヤス・ポール・こーえい・しず・ヒロたちと合流させてもらいました

とっても参加したかったキャンプだったけど、今回はしょうがなかった・・・(*_*)
お好み焼きを食べました

夕方は、おかん・ちえ・ポールと飲みました

大学だけじゃない、その外の世界にもあたしにはこんなに心強い仲間がいるってコトに感謝します(*^^)v
気持ちよくなったところで、おかんの家に宿泊\(^o^)/
次は我が家に来てください

13日、おかんママのおにぎりを持って名古屋へ

電車に3時間連続、はい2分で乗り換え、次は2時間連続...
ってのが普通になってる自分がウケる!!笑
久しぶりに行った名古屋のばあちゃんちに泊まり、
戦争体験者であるばあちゃんといろんな話をし、
14日の5時46分の電車に乗り、
無事におうちに到達です

実はサヤカの富士登山の棒を、
エコキャン海外参加者のMARCOが間違えて持っていってしまっていて、
何日に旅から帰ってくるか聞かれて14日と確かに答えたのですが、
駅に着いたらMARCOがいたのには驚きましたね(゜△゜)!!!
彼は日本中を旅している途中だそうです

そこからは浜松観光をしました(^^♪
二人とも半端なくでかい荷物だから目立つ目立つ!!笑
こうして、戦争の跡地を巡る、10日間に渡る旅が幕を閉じました

人間ってあったかいな-と、人間って悲惨だな-の2つを実感するような旅でした。
みんなも旅に出てみたらどうですか??
ここまでアホみたいに長旅をしなくてもいいので( ̄ー ̄)
青春18きっぷなら、10000円で5日間移動しほうだいです

サヤカは今回の旅が終わって、次になにができるかを考えてます

報告会って形にしようと思う(^^)/~~~
伝えてく。
あたしたちが、戦争体験者の生の声を聞けるラストチャンス世代だから!!
たくさんの人に支えられて実現した旅でした(o^□^o)ノ
そしてここまで読んでくれてありがとう!!
この旅に興味をもってくれた方、
そしてサヤカに興味をもってくれた方(笑)、
また語りましょう(∀)

連絡待ってます

では。
Posted by サヤカ at 13:00│Comments(1)
│旅
この記事へのコメント
大学を出て、県庁に入って最初の夏休みに、青春18切符を使って旅をした。
当時、まだできたばかりだった青函トンネルと瀬戸大橋を5日間で一気に体験する旅。
サヤカの旅とえらく質が違うなぁ…。
素晴らしい旅の報告会を楽しみにしています。
富士市民活動センターでも、ぜひっ!
当時、まだできたばかりだった青函トンネルと瀬戸大橋を5日間で一気に体験する旅。
サヤカの旅とえらく質が違うなぁ…。
素晴らしい旅の報告会を楽しみにしています。
富士市民活動センターでも、ぜひっ!
Posted by お父ちゃん@ゆめ・まち・ねっと at 2010年09月17日 23:10